NO団体名主な企画内容
27 各務野冒険塾 実行委員会(岐阜県) 「各務野冒険塾」
水や食べ物が十分にない無人島(姫島)で、仲間と力を合わせて工夫しながら生活し、たくましく生きる力や社会性を身につける。無人島体験の前には3ヶ月に渡り自分たちが食べる野菜を作る農業体験を行い、無人島ではトイレ・テント設営、火おこし、食材探し、いかだ作りなどを行う。ものが満ち足りている現代社会の子どもたちに「不足」を与える。

「各務野冒険塾」 実施レポート3

日時:第5日目 (8月7日) 晴れ
6:00  起床・あさのつどい

起床の合図があるまでテント内で静かに過ごすことになっていましたので、だいたいの子が起床の時刻になるまでテント内にいました。

6:10  朝食準備・朝食

最後の食事です。みんなで力を合わせて朝食を作りました。野菜などの余り物を焼いて食べました。

8:00  食事の後片付け

今まで使っていたコッヘルや鍋や網などたくさんのものをきれいにして最初より美しい状態で返却できるようにがんばりました。真っ黒になった鍋の底を見ると、今までの5日間の暮らしを思い出されます。よく5日間がんばったなぁという思いです。

9:00  テントの片付け

テントの片付けをします。今日の早朝には雨が降っていたので、テントをよく乾かす必要があります。テントをひっくり返して太陽に当てて乾かしました。その後、袋に入れていくのですが、これがなかなか難しい。テントを入れてあった袋に入らないのです。空気を抜いてテントを巻いたつもりでもなかなか十分に空気が抜けていなくて膨らんでいるようです。苦労してテントの片付けをしました。

10:00  離島式

いよいよ、離島です。5日間をふり返り、一人一人41名全員がスピーチをしました。一人一人、本当にすばらしいことを語りました。
「ぼくは一人で無人島へ来たら、今頃死んでいた。ここまでこれたのもみんなのお陰です。仲間の大切さを学びました。」「最初は、自分ばっかりが食事を作っていて腹が立っていたけど、何をしたらいい?と尋ねてくれるようになってみんなが協力して作れるようになって、とってもおいしい食事ができた」「火を起こしたり、魚や貝を獲ったりできるようになって、何か災害が起きても、リーダーとして声を出せる自信ができた」「今までの自分たちの生活は豊かだと改めて感じた。水や物を大切にした生活をこれから送っていきたい」など一人一人が自分なりの言葉でスピーチをしました。すごく感動しました。この各務野冒険塾を企画して良かったと思えた瞬間でした。

11:00  島内清掃

今まで過ごしたエリア内をくまなく清掃して、ゴミを0にしていきました。終わった後はいよいよここともお別れですから、記念の写真撮影をしました。

11:30  渡船 

さらば、姫島。さらば、無人島。子ども達は心なしかさみしそうでした。

12:45  バス乗車

バスの中で昼食を食べました。食べ終わったら各務原へ直行です。当初心配していた渋滞にも合わず、予定通りの時間に各務原市に到着することができました。

16:30  閉塾式 

各務原市役所の玄関でバスを降りると、市長さんが待っていてくださり、みんなにお話をしてくださいました。ありがたいです。
その後、集会係の子たちで司会をし、閉塾式を行いました。
(1)はじめの言葉
(2)塾長さんの挨拶
(3)課長の挨拶及びレンジャーjr.隊員証渡し
(4)塾生代表(隊長)の言葉
(5)終わりの言葉
5日間がんばり抜いた子たちに、レンジャーjr.隊員証を一人一人に渡しました。これで、各務原市で何か災害が起きてもこの経験を生かして、みんなに声をかけてリードし、水や電気が無くても生き延びることができる子達になったことでしょう。
途中で体調を崩して帰った子も閉塾式に待っていてくれました。彼にはレンジャーjr.隊員証は渡せないので、「サバイバル健闘証」を渡しました。渡している間、その子の目から涙がこぼれてきて、会場全体がジーンとしました。その後、グループの仲間が彼に手紙を渡したということを後で聞きました。誰か大人に言われたのではなく、自分たちで相談して渡したそうです。帰ってからの体験を詳しく書いて伝えたようです。そんな子どもの心にもジーンとしました。

天気にも恵まれ、子ども達が5日間でも大きく成長したすてきな各務野冒険塾になりました。無人島がある田原市の方々や安藤スポーツ財団などの援助をしていただいた企業の方々をはじめとして多くの方にお世話になって成功することができました。ありがとうございました。


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「各務野冒険塾」 実施レポート3
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