NO団体名主な企画内容
6 網地島ふるさと楽好(宮城県) 「限界集落の社会貢献 温かな愛に包まれる心のふるさと~島の自然が虐待孤児の自分を大切に思う心を育む~」
虐待孤児や震災孤児が、子どもがいない限界集落のお年寄りの温かな愛に包まれ、島の自然に生かされた生活を通して自己肯定感を高める企画。荒んだ子どもたちに温かな人間関係を築く心を育んでいく企画。

速報レポート1 網地島ふるさと楽好くじらコース

実 施 日   2021年7月22日(木)~23日(金)
参加者数   小学生7名,中学生3名,高校生1名,引率3名
(参加してくれた子供たちは,実の両親から虐待を受けて来た子供達や
 東日本大震災で両親を亡くした震災孤児等で,児童養護施設で暮らしています)
指 導 者   島のお年寄り・専門知識を持った講師等30名
ボランティア 宮城教育大学大学生ボランティア6名
網地(あじ)島(しま)について

 網地島は,宮城県石巻市にある離島で,人口約300人で高齢化率は約80%の限界集落。島で子供達の元気な声を聞くことはほとんどありません。仙台からは車と船で,3時間もかかる交通が不便な島です。年金と漁業で細々と暮らしているお年寄りがほとんどです。
 このような島ですが,島には「奇跡の病院」と呼ばれる公設ではない民間の病院があります。今から20年前の平成11年9月に栃木県の医療法人が,島の方々の温かな心に感謝し,子供がいなくなって,廃校となった網長小学校の校舎を改修し,「網小医院(あみしょういいん)」として病院を開いてくれました。待合室は校長室で,歴代の校長先生の写真が飾られています。診療科目は内科・外科などで,CTスキャン,レントゲン,手術室もあります。海が荒れると,何日も孤立する島民にとっては,命を守る上で,大きな安心感を与えています。

網地(あじ)島(しま)ふるさと楽(がっ)好(こう)について

 虐待等で苦しんできた子や東日本大震災で両親を亡くした子が,小さい頃から高校生になるまで何度も仙台から車と船で3時間の網地島に来て,島のお年寄りの温かな愛に包まれることで,頑なな心や荒んだ心がしなやかになって,自分自身を大切に思えるようになり,思いやりの気持ちが育まれていきます。15年間の温かな交流により,島のお年寄りが子供達を助けるだけの関係ではなく,成長した子供達から島のお年寄りが勇気づけられるようにもなりました。

 網地島ふるさと楽好のきっかけは,当時の行政区長桶谷敦さんの言葉。「限界集落で子供がいない寂しさを自分達はこんなにも感じているのに,島の外に目を向けると,虐待などで命を落とす子供がいる。虐待された子に大切にされ,愛される記憶を一つでもプレゼントしてあげたい」。桶谷さんが,仙台市内の児童養護施設に足を運び,2006年,子供達を受け入れる「網地島ふるさと楽好」が,始まりました。子供達に何の見返りも求めない恩送りの楽好です。この名称には,「網地島を心の拠り所にして幸せになってほしい」, 「網地島で好きなことを思い切り楽しんでほしい」との願いが込められています。

 仙台市内の4つの児童養護施設の子が招待され,2泊3日の特別な時間を過ごします(今年はコロナ禍のため1泊2日)。初めは警戒している子も,島にいる間に自然と笑顔になっていきます。
 オニヤンマとにらめっこする子,島の外ネコと遊ぶ子,真っ黒になって杉の葉の火起こしをする子,ちゃっかり味見を楽しむ子,島の魚釣り「あなご抜き」に挑戦する子も。先生は漁師歴60年のおじいさん。厳しい教えも素直に聞き入れ,岩の下に潜む魚と真剣勝負。釣った魚は浜焼きにして,御馳走します。子供達は自分が釣った魚は愛おしく,骨まで舐めるように食べてしまいます。
 島の食事は,島のおじいさんが海から捕ってきたばかりのうにや貝などを教わりながら,慣れない手つきで下ごしらえから料理し,家族のように楽しく会話しながら食べます。「見て!おかずのうにが逃げていくよ!」と子供達の喜々とした声で島はとても賑やかになります。

 これまで623名の子を招待しました。費用のすべてを工面し,足りないところは島の方々からいただいた物で賄い,子供達の幸せだけを願い,15年間続けてきました。子供達が喜ぶ姿を思い浮かべながら,一年がかりで準備します。苦労を厭わない理由を「子供の笑顔を見るだけで元気になる」「文集が楽しみ」と島のお年寄りは話します。さらに,気遣いのできる頼もしい高校生に成長する姿を見ることも楽しみになってきています。

 別れの日,普段は素直に気持ちを言えない子も,自分から手を挙げて,「ありがと,楽しかった」「ごはんおいしかった」と短いながらも心のこもった言葉を伝えます。島のお年寄りは,涙が止まらなくなります。出航ではお互いに見えなくなるまで手を振り続けます。子供達は,涙が止まらなくなり,船の中で泣き続けます。虐待や貧困や震災等で苦しんできたからこそ,島のお年寄りの温かな心を大切に思ってくれます。素直な涙が子供達の心を育んでいます。 

 島から戻ると,子供達は楽しかった思い出を言葉と絵で表して文集を作り,島のお年寄りに贈ります。「文集の絵には島の美しい風景や遊んでいる様子などが描かれていますが,絵の中の人達はみんな笑顔なんです。私達は子供達が笑顔の人物を描くことを非常にうれしく感じています」(児童養護施設小百合園園長)

 2011年の東日本大震災。10mを超える大津波は,家々を破壊し,漁船を沈め,電気や水道を遮断。地盤は1.5mも沈下し,港も道路も海の中に沈み,島はおびただしい瓦礫に埋もれました。網地島は孤立し,誰もがもう島には住めないと諦めました。 
 そんな絶望の中,島に子供達から百通を超える手紙が届きました。島を案じた子供達と施設の職員とが相談し,手紙でエールを送ろうと決めたのです。島のお年寄りから心を学んだ子供達の手紙が,震災で苦しむ島の希望となりました。桶谷さん達は,「来年の夏,子供達を島に呼びたい」と奮起。海から何度も打ち上げられる大量の瓦礫を諦めずに根気強く片付け,翌年にはすべて撤去。開校前日には夕方まで,桶谷さん達が,子供達がケガをしないように,小さな破片を丹念に拾い,裸足で入れる海を取り戻しました。観光客は一人もいない子供達だけの海です。

 2015年に桶谷楽好長は東京での表彰式から帰った翌日に体調を崩し,楽好の行く末を案じながら亡くなりました。子供達はこれまでのお礼を言いたいと,遠く仙台から通夜に駆けつけました。桶谷さんのために自分達ができることを話し合い,「今度,島に行ったら,思いっきり楽しむ」と誓いました。桶谷さんは島で思いやりの心を育んだたくさんの子供達に見送られました。10年かけて,桶谷さんの思い描いた子供達への願いが叶い,誰にでも誇れる心優しい子供達がたくさん育っています。

 現在は桶谷さんの遺志を継いだ島のお年寄りが協力しながら,毎年,子供達を迎えています。
 昨年度から里親家庭の子供達も受け入れて,子供達が幸せになれるように頑張っています。

テーマ

  • 児童養護施設で暮らす東日本大震災で両親を亡くした子供達,虐待等で苦しんで来た子供達,貧困等の理由で親と暮らせない子供達に,島のお年寄りの温かな愛に包まれながら,島のおいしいものをたくさん食べてもらい,昔の遊びでたくさん遊んでもらいながら,豊かな自然の中で,のんびりと過ごしてもらおう。

目 的

  • 網地島の暮らしを使った自然体験を通じて,海と生きる島のお年寄りとの交流を通じて,虐待の苦しみや震災で親を失った悲しみを少しでも癒してほしい。
  • 透き通った海やオニヤンマ・アオスジアゲハが飛び交う網地島で,子供の頃の楽しい思い出をたくさん作ってほしい。
  • 自然に生かされた網地島の生活を,自然体験を通じて学んで,島に対する理解を深めてほしい。
  • 時間の決められた体験はしないで,網地島をふるさとだと思って,のんびり過ごしてほしい。

迎え入れる準備

  • うにやあわびや海藻は,「口開け」といって,取ることのできる日が決まっているので,半年以上前から,島のお年寄りは,迎え入れる準備のため,食材を少しずつ集めていきます。来てくれる子供たちのことを思いながら集めます。
  • 「マルコ」という貝は,東日本大震災の地盤沈下で,陸地が1.5mも水没したため,8年経った今でもなかなか取れなくなっています。島のお年寄りは,「早くマルコが復活し,子供たちにたくさん食べさせてあげたいなあ」といつも言っています。

成果

  • 網地島に来たばかりのよそよそしかった子供達もみんなで一緒に作る食の体験や網地島だけの魚釣りアナゴ抜きを通じ,次第に打ち解けて,島のお年寄りと仲良くなりました。
  • 食事づくりは,島のおじいさんが海から取ってきたものをみんなで調理しました。うには,子供達も大好きですが,食べられるようになるまでは,中をきれいにしなければならないので,たいへん手間がかかります。子供達は,興味をもって,取り組んでくれました。
  • 網地島の豊かな自然の中から登場する魚,うに,カニ,ヤドカリ,つぶ貝,ひらめ,大ムカデ,アオスジアゲハ,オニヤンマ,ショウリョウバッタ,コクワガタ,ウミネコ,カラスとの出会いが,子供達に驚きと感動,そして,小さな生き物に対する優しい心を育んでくれました。人は,大きく温かな自然の中で生かされていることを実感することができたと思います。
  • 2日間,おいしいご飯づくりの指導をしてくれた島のおばあさんに対しても,子供達から自然と感謝の気持ちを述べることができるようになりました。
  • 子供達は,網地島の楽しい思い出を胸に,笑顔いっぱいになって,帰路につくことができました。また網地島に行きたいという子供がたくさんいました。網地島の自然体験,温かな島のおじいさんやおばあさん,ボランティアとの関わりが,そして,愛情のこもった食事をおなかいっぱい食べることが,目には見えない子供達の心の傷を少しだけ癒し,大切にされ,愛される記憶を持つことができたと感じています。

(・島のお年寄りにとっては,子供達の笑顔から元気をもらうことができたと思います。)
(・大学生ボランティアは,子供の貧困や虐待,東日本大震災の被災地支援に関心のある方々です。突然,「お母さんはいるの?」と子供達から聞かれ(自分の境遇がどれほど辛いものかを確認する行為),ボランティアは,明るく振舞っている子供達の内面の寂しさや悲しさに触れることができたと言っていました。多くのボランティアが,子供達と接することによって,貴重な体験をすることができたと思います。)

体験内容

1日目  7月22日(木) 
9:00 網地島ライン乗船
 船では,ウミネコにえびせんをあげました。
 ウミネコのうまい空中キャッチにみんな驚く。
 ウミネコに食べさせずに,自分が食べる子もいました。
10:30 網地島に到着
 島のお年寄りが出迎え。島の外ネコも出迎え。
 海をのぞき込み,魚を見つけて大喜び。


コロナ禍なのでまずは検温

11:00 開校式・アイスブレーキングゲーム
 みんな緊張していました。ボランティアと
 アイスブレーキングのゲームやドッチボールを楽しみました。子供達の連勝でした。

11:30 昼食・準備・片付け
 島のカレーライス。子供たちは,「おいしい,おいしい」と言って,何回もおかわりします。ダッチオーブンの鳥の丸焼きも初めて  見るの料理で,みんな大喜びでした。


島のおじいさんが遊びに来てくれました

12:30 網地白浜でのシーカヤックやライフジャケットを着た海水浴
 シーカヤックは,昔の子供たちが使った小舟の代わりになる体験です。シーカヤックは,海を身近に感じることができる舟です。子供たちは,初めは,漕ぎ方が分からず,思うように進むことができません。体重の軽い子は,潮に流されたり,風に流されたりして,港の東の方に流されてしまいます。穏やかに見える海には,いろいろな力が作用していることを子供たちは理解します。それを勘定に入れて,シーカヤックを漕ぐ方向を決めていきます。子供たちは,すぐにコツを覚えて,簡単に操作できるようになります。小学生でも,自分が船長であり,自分の判断で操作しなければならないことから,うまくできたときには自信になります。みんな頑張って,操縦し,一人で,岸に戻って来てくれます。子供たちの諦めない心を鍛えます。
 岩場に引っかかって,動けなくなった子供がいると,みんながその場に行って,パドルでシーカヤックを押してあげたりして,助け出します。うまくできたときは,みんな自信を持つことができます。
 シーカヤックが転覆し,慌ててしまい,海水を飲んでしまった子供もたくさんいました。海の怖さを感じる瞬間です。漁船で子供たちを見守ってくれていた島のおじいさんが助けてくれました。なかなか船に引き上げるのが,難しく,落ちた子供も,びっくりしていました。
 初めて着たライフジャケットの浮力に,みんな驚きます。沖の方に泳いで行き,「も   う足が届かないところまで来た。」と自慢します。透き通った海なので,海の中を見ると,3m以上の深さがあっても,海の底を見ることができます。
 水分補給のためのスイカ割りも楽しみました。変な方向に行ってしまう子供もいて,大笑いでした。コロナ禍で,人は誰もいませんでした。子供達だけの海です。


シーカヤックで出発だ

本人は真剣ですが みんな大笑い

15:30 トウモロコシとスイカのおやつ
 お盆に孫が帰って来たときと同じように,おじいさんとおばあさんが海で冷やしたスイカと大きな鍋でゆでたトウモロコシを出してくれます。スイカはとても冷えておいしく,1人に1本づつのトウモロコシもたいへんおいしかったので,あっという間に食べてしまいました。

16:30 竹鉄砲・竹とんぼの使い方を学ぼう
 昔の子供達は,自分の小刀を持ち,山の中の竹を使って,自分で遊び道具を使って遊びました。島のおじいさんから昔の子供達の遊びを学びました。今回はコロナ過であり,密になる小刀(島のおじいさんが焼きを入れたので,よく切れる)を使った竹鉄砲づくりと竹とんぼづくりは諦め,外で飛ばし方を島のお年寄りから学びました。
 竹鉄砲は,紙の玉の詰め方が大切です。空気が逃げないように芯棒をテコの原理でうまく使って,固く詰める必要があります。うまくいくと,大きな音と水煙が上がるので,子供達は大喜びです。
 竹トンボを飛ばした子供はほとんどおらず,最初はみんな苦戦しました。島のおじいさんからコツを教えてもらうと,みんな高く遠くに飛ばせるようになりました。
 自分の五感を十分に生かした昔の遊びに,みんな夢中で取り組んでくれました。


竹鉄砲の玉の詰め方を習っています 

17:30 Tシャツに「網地島ふるさと楽好」のロゴの印刷
 自分で印刷する場所を決めて印刷します。自分だけのTシャツを作ります。出来上がると,宝物を得たような表情になります。


島の自然を入れた2021年のTシャツデザイン

どこにプリントしようかなと悩む子供達

18:30 夕食
 児童養護施設では,食中毒の危険があるため,お刺身は出ません。島のおばあさんがお刺身をたくさん出してくれました。子供達は,ふだん食べられないお刺身をお腹いっぱい食べます。何年ぶりかに食べたお刺身はとてもおいしかったようです。生きているうにもとてもおいしかったようです。「おかずのうにが逃げて行くよ」と大騒ぎでした。

20:30 花火
 児童養護施設ではできない花火を楽しみました。島の夜は,何の音もしない不思議な夜です。

21:00  就寝
 昼は海でたっぷり遊んだので,早めに寝ます。島の夜は,海から涼しい風が吹いてくるので,寝苦しくなく,ぐっすりと眠ることができます。

2日目  7月23日(金)
5:00 朝食準備
 島の海女である長渡婦人会(ふたわたしふじんかい)10名以上が,子供達のために朝5時に集まってくれました。おいしいものを作ろうと頑張っていただきました。


朝5時からの食事づくり

島の ふのり ひじき 鮭

7:15 朝食
 島のおばあさん(海女)が海から採ってきたふのりやひじきはとてもおいしくみんながお替わりをしました。外洋で育つ網地島のひじきはとても長く,みんなびっくり。
8:30 網地島だけの魚釣りあなご抜き
 島の昔の子供達が熱中した網地島だけの魚釣りあなご抜きを楽しんでもらいました。島に生えている長い真竹に短い糸と針を付けて,岩の下に突っ込んで釣ります。初めて魚釣りをする子もいて,みんな真剣でした。釣った魚は,島のおばあさん(海女)におろしてもらい,炭火で焼いて,昼のおかずにします。


石音の浜で大波と遊ぶ

ワカメ採ったぞ

網地島だけの魚釣りあなご抜き


岩の下に釣り竿を突っ込んで釣ります

※子供達のプライバシーを守るため,ぼかしを入れてあります。

11:30 島の海女とのお昼づくり
 子供達が釣った魚は,島の海女のおばあさんがあっという間におろしてくれました。
 炭火で焼いてお昼のおかずにしてもらいました。
 味噌焼きおにぎりも炭火でこんがりと焼きました。香ばしい香りが食欲をそそります。
 宮城県のソウルフードである「はっと」は,各家庭で作り方が違うことから,味付けで船頭が多く,どうなることかと思いましたが,海女のチームワークでうまくまとまりました。はっとは,子供達にちぎってもらい,汁の中に入れました。子供達は,おいしい,おいしいとたくさんお替りをしました。
 お餅は,杵と臼で子供達についてもらいます。力いっぱいついたので,粘りがあるおいしいお餅ができました。小豆は,豆から煮たもので,とてもおいしくできました。


釣った魚はお昼のおかずになります

みそ焼きおにぎりもこんがりとおいしい

島のおばあさんが餅をこねて


子供達が力を合わせてつきます

13:45 船に乗ってお別れ
 船での別れは格別です。姿が見えなくなるまで手を振り続けます。また,網地島にまた遊びに来てね。


みんな元気でね またおいでよ

待合所の真っ黒クロスケ「もっとゆっくりしていけばいいのに」

まとめ)

 網地島の豊かな自然の中,島の自然に生かされてきた明るく元気な島のおばあさん(海女)やにこやかな島のおじいさんとの昔の島の遊びを通じた交流に,子供達は積極的に取り組んでくれました。

 島のお年寄りの温かな愛に包まれ,たくさんのおいしいものを食べ,昔の島の遊びを行いながら,のんびりと網地島で過ごしてもらうことができたと思います。児童養護施設ではできないことをしてもらえたと思います。

 高校生になるまで,何度も網地島に招待することで,島のお年寄りと仲良くなってもらいたいと考えています。子供達が将来幸せになることだけを望んでいます。



速報レポート1 網地島ふるさと楽好くじらコース
速報レポート2 網地島ふるさと楽好うにコース1日目
速報レポート3 網地島ふるさと楽好うにコース2日目
速報レポート4 網地島ふるさと楽好あわびコース1日目
速報レポート5 網地島ふるさと楽好あわびコース2日目
速報レポート6

■別年度のレポート
2017年度 網地島ふるさと楽好 ~自然体験活動による 愛され、大切にされる記憶の醸成~ 実施レポート

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