NO団体名主な企画内容
45 出雲市立須佐小学校(協働:須佐コミュニティセンター)(島根県) 「魅力いっぱい須佐の郷探訪」
"小学校とセンター、地域が連携を取り、神話の源郷であり自然豊かな須佐地域を探訪する。想像力、生きる力、故郷の良さ、それを守る大切さを子どもたちの心に植えつけ、学んだことを地域へ発信する。"

速報レポート11 戦国時代と神話の地域探訪

実施日:10月4日(金) 9:30~12:00
活動場所:島根県出雲市佐田町須佐地内
参加者:須佐小学校6年生 10名、 講師 1名、  教員2名
ねらい

郷土の歴史と神話、伝承について知ることを通して、地域に対する関心を高め、大切にしようとする心情を育てる。

活動内容

須佐小学校6年生は歴史を学ぶ中に於いて、地域講師の案内で実際に現地踏査をすることで、自分たちが住む地域の戦国時代と神話や伝承について学び、知識をふかめる。
戦国時代の高櫓城をめぐる毛利と尼子の攻防について、また「出雲国風土記」「雲陽誌」にも記載のある多倍神社に伝わる神話や伝説について地域講師の案内で地域探訪に出かけた。


地域講師による出発前の説明

高櫓城跡登り口です。

 これから城跡まで約800m登ることになりますが、昨日下見に登りましたところ、途中にスズメバチの巣がりました。
 また、昨夜の雨で途中が滑りやすくなっていますので、残念ですが危険防止のため今日はここで説明をします。


高櫓城跡案内板

高櫓城について説明を聞く

高櫓城は別名須佐城とも呼ばれていた。
築城期は不明だが1486年ごろ(室町時代)
築城者は不明だが、尼子の亀井永綱の居城であった。
1558年毛利元就の猛攻で落城 山吹城主の本庄常光が城主を兼務する。
1563年本庄常光は須佐神社の宝物、神社領を奪ったなどとして、毛利元就によって暗殺される。
本庄常光に代わって毛利元就の寵臣であった熊谷広実が入城した。
1570年熊谷広実は病死した。子の元実が継いだが関ヶ原の役に敗れて、堀尾吉晴が出雲に入り廃城となった。


ふもとにある殿様墓

熊谷広実夫妻の霊を祀るものだと言われるが、はっきりとはわからない。

多倍神社に移動。


多倍神社について説明を聞く。

「出雲国風土記」「雲陽誌」にも記載のある多倍神社に伝わる神話や伝説について説明を聞く。
多倍神社は須佐之男命を御祭神とする。社殿内に大きな岩がある。これは須佐之男命が鬼退治をし、首を埋め上に大きな岩で蓋をした「首岩」と言われるものである。
須佐之男命が八岐大蛇を退治した「十挙劔」を祀る神社で神紋にも剣が入っている。


地域講師とはここでお別れ。有難うございました。

今回の成果

 授業で学習したことを、地域講師の案内で現地探訪することで、子どもたちはその内容をさらに深く理解し、それをもっと追及しようとする発展性に繋げることができた。
 自分たちが今住んでいる地域について知ることで、地域に対する関心を高め、地域を大切にする心情が育った。
 6年間の小学校生活で沢山の地域の方々とふれあい、指導を受けたことは子どもたちにとっては大きな収穫となり、ふるさと学習の成果となった。

子どもの感想

  • 高櫓城が100年以上の間続き、戦もありながらも続いていたことを初めて知り驚いた。
  • 高櫓城の説明では、沢山の出来事を年代別に説明してもらいとてもよくわかった。
  • 高櫓周辺をもっと歩いて、もっといろいろな歴史を知りたくなった。
  • この城には3人の城主がいたことがわかった。この3人の関係をもっと調べてみたい。
  • 今日は残念ながら登れなかったが、必ず登って山城についてもっと調べてみたい。
  • 多倍神社の神話や伝説についてもっと調べたくなってきた。
  • 須佐の地域には他にも、もっともっと自分の知らない歴史が沢山あると思うので、もっと調べてみたくなった。



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